東京高等裁判所 昭和62年(行ケ)103号 判決
一 請求の原因一(特許庁における手続の経緯)、二(本願発明の要旨)及び三(審決の理由の要点)の事実は、当事者間に争いがない。
二 そこで、原告主張の審決の取消事由の存否について判断する。
1(一) 成立に争いのない甲第二号証及び第五号証によれば、本願明細書及び昭和六〇年七月九日付け手続補正書には、本願発明の技術的課題(目的)、構成及び作用効果について、次のとおり記載されていることが認められる。
本願発明は、材料をシリコンハロゲン化物で処理する方法に関する。詳しくは、商業規模で材料を処理し、好ましくない酸による劣化作用もなく、撥水材を得る方法に関するものである(本願明細書第二頁第二〇行ないし第三頁第三行)。
材料をシリコンハロゲン化物と処理して撥水材を作る周知の方法において、ハロゲン化物はヒドロキシル基、例えば処理される材料中の湿気と反応して撥水性膜を形成するシロキサンを生成するが、この反応の副生成物は塩化水素ガスであり、材料中の湿気と反応して、材料、特にセルロース質の材料を攻撃し劣化させるという不都合がある(同第三頁第四行ないし第一五行、前記手続補正書第二頁第二行ないし第四行)。右副生成物の塩化水素による材料の劣化を防止するための方法として、セルロース質材料をシランと不活性ガスの混合気に、材料とシランの望ましい反応を引きおこし、一方、劣化の原因となる副反応を避けるのに適した時間及び温度条件でさらし、その後直ちに緩やかなアルカリ溶液に材料を浸漬して酸性の反応副生成物を中和する方法や、引用例が開示するように、副生成物の塩化水素を処理剤そのものの流れに髄伴させて処理室から排出させる方法が行われていたが、引用例に開示されている右方法においても、PHがかなり酸性領域にあり、生成物は不満足なものであり、好ましくない酸による劣化をうけていると考えられていた(本願明細書第四頁第一六行ないし第五頁第一八行、前記手続補正書第二頁第五行ないし第一〇行)。本願発明は、右知見に基づき、工業的規模で、好ましくない酸による劣化作用もなく、中和及び不活性溶媒の必要もなく、比較的高いPHで、材料を高速度で撥水処理する方法を提供することを目的とし(本願明細書第八頁第二行ないし第一二行)、右目的を達成するためには、材料に対して非層流のシリコンハロゲン化物蒸気を導入し、反応中は非層流に保つ(同第八頁第一三行ないし第一五行)という状態で材料とシリコンハロゲン化物蒸気との接触を行わせることが必要であるとの認識のもとに、特許請求の範囲(前記本願発明の要旨)記載のとおりの構成を採用した。本願発明は、右構成を採用したことにより、セルロース質材料の撥水性が早く達成されるとともに、副生成物である塩化水素がセルロース質材料から早く排除されるという作用効果を奏するものである(同第九頁第二行ないし第一五行)。
(二) 一方、引用例に、「セルロース質材料をシリコンハロゲン化物の蒸気で処理して、該材料に撥水性を与えることについて開示され、その第2図及びその説明によると、セルロース質材料1は処理室2の右上方8から処理室内に水平に導入され、ガイドローラー7a~7dにより処理室内の幅一杯に四段で水平に懸架搬送され、出口9から導出され、他方、シラン蒸気はスプレーノズル4から処理室2内に噴射送入され、排出口5から排出されることが示されている。」旨の技術的事項が記載されていることは当事者間に争いがない。
そして、成立に争いのない甲第六号証によれば、引用例には、引用例記載の発明は、「反応において利用される蒸気成分を定常的に補給し、反応副生成物が形成されるや速やかに定常的に除去するための制御された条件下に、常に均一な蒸気濃度において、材料を処理する方法及び装置の提供をすること(第一欄第一五行ないし第二〇行)。」を目的としたもので、「不活性キヤリヤーガスと混合された処理試薬の蒸気を囲まれた処理帯域を通して流通させ、処理されるべき長尺材料をその帯域を通して連続的に通過させることにより(中略)反応帯域下流において副生成物蒸気を含む使用済み蒸気はこの系外へ排気され、(中略)このプロセスにおいては副生成物は生成するや速やかに反応帯域から定常的に除去される。(第一欄第四九行ないし第六〇行)」「ガス状反応混合物が処理帯域を一様に上向きに流され、処理される材料が平らなシート状例えば布はく、あるいは繊維や単繊維をシート状に配列したものとして、その移動方向を横切るあらゆるラインが水平とになるように供給される場合には、より一層の処理の均一化が達成されるものと思われる。反応混合物の均一な上昇流は帯域内の各水平レベルにおいて高度に均一な条件を作り出すものと考えられ、材料をその横断方向が水平になるように維持することにより、全ての小部分が同じ順序で各レベルを通過することになり、このため実質的に同じ条件で処理されることになるのである。材料をこのように通過させるには、最も簡単には水平なロツドあるいはローラーを介して反応帯域に供給すればよい(第二欄第五行ないし第二〇行)。」との知見をもとに、右目的を達成するために、ガス状反応混合物を反応室下部に連続的に供給して、処理帯域を一様に上向きに流れる均一な上昇流とすると共に、処理されるべきシート状材料は、反応室内の右ガス状反応混合物供給部の上部に形成される処理帯域に水平状態で連続的に通して該ガス状反応混合物の上昇流と接触させるという処理方法を採用したものであり(第五欄第四五行ないし第八欄第二行)、右処理方法の採用により、「制御された上昇流は反応帯域内の各水平レベルについて実質的に均一な条件を作り出す。(中略)材料のあらゆる部分は実質的に同じ条件で処理される(第三欄第四三行ないし第四九行)。」「反応過程において(中略)ハロゲン化水素副生成物が形成されるが、それらは反応帯域に蓄積されずにガス状混合物の動きに同伴する傾向にある。このように、副生成物ガスの平均及び最大濃度を極めて低い濃度に維持することが可能となる。かくして、これらの副生成物の有害あるいは望ましくない影響が最少に押さえられる(第三欄第五〇行ないし第五九行)。」という作用効果を奏するものであると記載されていることが認められる。
2 一致点の誤りについて
原告は、「引用例記載の発明は、シリコンハロゲン化物の蒸気流が処理長全体にわたつて非層流状態に保持されているものではない。」旨主張する。
前記1(二)で認定した引用例の記載によれば、引用例記載の発明も、セルロース質材料をシリコンハロゲン化物の蒸気により処理して、セルロース質材料に撥水性を付与する装置であり、ガス状反応混合物を反応室下部より連続的に供給して、処理室内を一様に上向きに流れる均一な上昇流とするとともに、処理されるシート状材料は、反応室内の右ガス状反応物供給部の上部に形成される処理帯域に水平状態で連続的に通して右ガス状反応混合物の上昇流と接触させるという処理方法により、反応帯域内の各水平レベルについて実質的に均一な条件を作り出すと共に、副生成物たるハロゲン化水素をガス状反応混合物に随伴させて定常的に反応室外に排出させることにより、反応室内の該副生成物を極めて低い濃度に維持し、これによる材料への有害な影響を最少に押さえながら撥水処理を行うことを可能にするものであることが認められ、引用例記載の発明におけるガス状反応混合物は、反応室底部に導入された後、反応室内に形成されている各レベルの処理帯域を下部から上部に向かつて一様に押し上げられる形で流れる均一な上昇流として流れるものであることが理解される。しかしながら、引用例には、右ガス状反応混合物が、各レベルの処理帯域を水平移動しているシート状材料の表面全域にわたつて非層流の状態で接触しているものであるとは記載されておらず、また、右均一な上昇流の形成方法や各処理帯域における水平移動中のシート状材料との接触状態及びそれらによつて奏される作用効果に関する引用例の各記載を勘案しても、均一な上昇流を形成しているガス状混合反応物の流れが、材料表面との全接触位置において、非層流状態を呈していることが自明であると認定し得る根拠も見出すことはできない。
この点に関して被告は、「引用例記載の発明においても、シラン蒸気は、セルロース質材料に突き当るなどして流れを乱され、どの部分においても層流を保つことはできない。」旨主張する。
確かに、引用例記載の発明においても、シラン蒸気の流れの方向にはその流れを遮るセルロース質材料が存在するから、処理室の下方から上方排出口方向の軸に対して平行な直線的な流れとならないシラン蒸気流部分が生ずることがあることは理解できる。しかしながら、前掲甲第六号証によれば、引用例の記載事項を詳細に検討しても、右のような流れが処理室内に形成される各レベルの処理帯域にあるセルロース質材料の処理長全体にわたつて非層流状態の流れとなつているとは認め難く、被告の主張は、単なる推測の域を出ないものであるといわざるを得ない。
なお、被告は、本願発明の「処理長全体にわたつて」とは「セルロース質材料の表面近傍全域にわたつて」と同じ意味であるとの原告の主張は本願発明の要旨に基づかない主張である旨主張している。
しかしながら、前掲甲第二号証によれば、本願明細書には、「層流状態では処理表面に近いガス流の分子だけが材料中のヒドロキシル基と反応して好ましいシロキサン膜を形成することができる。反応が起きるにつれて、点線(31)および円(41)で示された塩化水素ガスのあるものは流れの方向に移動するが、その大部分は円(41´)によつて示されるように材料表面にとどまる。流れの層流状態のために、副産物は紙と接触してすき間にとどまり、ガス拡散によつて移動するのみである。第1B図に示すように、本発明の場合と比較して反応剤(22)の非層流がシラン混合物のかなりの量を処理材料(10)の表面と接触させ、層流におけるよりも速い反応速度を与える。更に、渦巻流は排気効果を有し、副産物の塩化水素ガス(32)を処理表面から除き、円(42´)によつて示される極く少量のみが表面に留まる(本願明細書第一一頁第六行ないし第一二頁第四行)。」と記載されていることが認められ、右認定事項からすると、本願発明は、シラン蒸気がセルロース質材料との接触時に非層流状態であるため、次々に新しい蒸気をセルロース質材料表面に送ることができ、所望の反応をより速く完了させると共に、セルロース質材料表面上に生成する塩化水素ガスを右の頻繁に入れ替わるシラン蒸気に随伴させてセルロース質材料表面から速やかに除くことができるというものであるから、本願発明における「処理長全体にわたつて非層流状態に保持し」とは、原告がいうところの「撥水処理を受けるセルロース質材料の表面近傍全域にわたり非層流状態に保持し」と技術的意義において同一であると認められる。したがつて、被告の右主張は理由がない。
してみると、引用例記載の発明も、「シリコンハロゲン化物の蒸気流を処理長全体にわたつて非層流状態に保持し、蒸気の層流のない状態で処理するものである」とした審決の認定、判断には誤りがあるといわざるを得ない。
3 相違点の判断について
審決は、相違点について、「引用例記載の発明も、蒸気の流れは非層流状態になつており、更にこれを確保するために障害を設けることは、当業者が必要に応じて容易に行い得ることであり、そのことによる特段の作用効果もない」旨判断している。
しかしながら、前記2で認定したとおり、引用例記載の発明においては、シート状の材料面全域にわたつてシラン蒸気が非層流状態で接触しているものとは認められず、また、前掲甲第六号証によれば、引用例には、従来技術に比べて、セルロース質材料の撥水処理に当り、副生成物である有害なハロゲン化水素ガスをセルロース質材料表面からより早く排除するという技術的課題(目的)を達成するために「材料の処理長全体にわたつてシリコンハロゲン化物の蒸気流を非層流状態に保持すること」の必要性が開示されているとは認められず、まして、右目的達成のために必要な流れの非層流状態を保持するために、蒸気の流れの中に障害物を設置することの必要性を開示もしくは示唆しているものとは認められないから、非層流状態を生じさせるために処理室内に障害を設けることが、当業者にとつて必要に応じて容易に行い得るものとはいい得ない。
そして、前記1(一)で認定したとおり、本願発明は、シラン蒸気の流れを処理長全体にわたつて非層流状態に保持し、セルロース質材料表面と接触しているシラン蒸気部分を頻繁に入れ替えることにより、右材料の撥水性をより速く達成すると共に、材料表面部に生成される塩化水素ガスを該表面部からより速く強制的に搬出することによつて、ほぼ完全にこれを除去するというものであり、シランガスの均一な上昇流を形成することによつて、副生成物であるハロゲン化水素を定常的に処理室外に排出させ、単に処理室内の雰囲気中における右副生成物の平均的濃度を低く維持するという引用例記載の発明とは、その作用効果に格別の相違があるものと認められる。
してみると、本願発明と引用例記載の発明との相違点に対する審決の前記判断は誤りであるといわざるを得ない。
3 以上のとおりであつて、審決は、本願発明と引用例記載の発明との一致点の認定及び相違点の判断を誤り、本願発明は、引用例記載の発明に基づいて当業者が容易に発明をすることができたと誤つて判断したものであるから、違法として取消しを免れない。
三 よつて、審決の取消しを求める原告の本訴請求は正当としてこれを認容する。
〔編注1〕本願発明の要旨は左のとおりである。
セルロース質材料をシリコンハロゲン化物の蒸気により処理して、セルロース質材料に撥水性を付与する方法において、シリコンハロゲン化物の蒸気の流れの中に障害を設け、該蒸気流を処理長全体にわたつて非層流状態に保持し、蒸気の層流のない状態で処理することを特徴とする方法(別紙図面(一)参照)。
〔編注2〕本件における図面は左のとおりである。
別紙図面(一)
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